ハモンドオルガンはアメリカ人の時計職人ローレンス・ハモンド氏が開発したオルガン。ヨーロッパの教会に古くからあるパイプオルガンの音を、より多くの人々が簡単にその音を楽しめるために作られたものである。当初はニューイングランド地方を中心にした裕福な人々の自宅用に発展し、シアターオルガンサウンドと呼ばれる音を主に親しまれていった。そんなオルガンがジャズの世界で一躍活躍したのはデューク・エリントンオーケストラのオルガン奏者兼アレンジャーでもあったワイルド・ビル・ディヴィスである。彼はオルガンサウンドの導入により強固なバンドサウドを極め、人気を博したのである。その当時からオルガン奏者で名をはせたものは数多く出てくる。ビル・ナゲットもそうだが、そのサウンドはブロック奏法と言って主に和音を中心に演奏するスタイルであった。だからこそビックバンドサウンドにとてもマッチしたと言えるだろう。そんなオルガンプレイヤーの歴史にとんでもない人間が表れたのが、誰もが天才と疑わないあのジミー・スミスなのである。ジミーはそれまでは誰もしたことのないチャーリー・パーカーと言ったサックスプレイヤーのようなシングルトーンのフレーズを多様化し、よりインプロヴィゼーションを中心に革命を起こした人物であった。それはブルーノートレーベルから発表され、年に5枚以上リリースするほどの人気を得たのである。ジャズオルガン奏者は主に黒人プレイヤーであった。それはその昔、南部を中心にパイプオルガンが設置できない小さな教会にハモンドオルガンを置いたことが大きな理由である。人々は皆教会に集まりゴスペルミュージックを歌い、神に祈る。ほとんどの黒人達は幼い頃からゴスペルを聴き、教会を通じてハモンドオルガンに親しんでいた。ジャズオルガンの発展はフィラデルフィアから始まり、シカゴ、ニュージャージー、そしてニューヨークハーレムに広がっていったのだ。ジミー・スミスがビックスターになったお蔭で60年代には全米で600人以上のジャズオルガンプレイヤーがデビューしている。全米各地にブーム的に広がったわけだが、特にニューヨークハーレムを中心に、東のジミーと言われる人気を博したのがブラザー・ジャック・マグダフである。その後いろいろなスタープレイヤーが表れ、一方ロックミュージックの世界でもハモンドオルガンの人気は高く、ソウルフルな楽器として広い意味でのバンドサウンドには欠かせない楽器であった。70年代に入るとヤマハDX7等シンセサイザーの発明により、オルガンが姿を消していき80年代のフュージョンミュージックが真っ盛りになると益々オルガンプレイヤーは少なくなっていく。ハモンドB-3オルガンの製造も費用の問題等により70年代で製造が中止になってしまう。しかしその幻の名機と言われる音は今なお人々の心に生き続けて止まない。
6788_s.jpg
そんなアメリカ特に黒人社会を代表する魂の楽器ハモンドオルガンに強い思いで取り組んだのがKANKAWAである。彼はジミー・スミスのオルガンを聴いて鳥肌が立ち、弟子入りし、ジミーのオルガンを運び、ジャズオルガンを学んだ。80年代には東洋人で初めてニューヨークハーレムでバンドリーダーを務めたほどの活躍と人気を博した。ジャズは、ジョン・コルトレーン、マイルス・ディヴィス、そしてジョージ・ベンソン、パット・メセニーなど時代により変貌をとげるわけであるが、変わらないのがハーレムジャズ、いわゆるオルガンジャズなのである。オルガンジャズはその伝統をかたくなに守ってきたと言えるであろう。オルガンジャズ、それは人々をとにかく楽しくさせる。ブルース、ゴスペルの伝統を受け継ぎ、スウィング、ブルース、ビーバップのフレーズを高らかに歌い上げる。音楽は不滅で今後も決してなくなるわけではない。
 SOLIVEやMMWと言った新しいオルガンジャズの音楽に惹かれる若者も多い。オルガンの躍動感と音の魅力は絶大である。KANKAWAというオルガンジャズの伝統を肌で感じてきた日本人オルガンプレイヤーの音を聴いて、ジャズのルーツに触れ、ただ単純に音楽を楽しまれることを心から推奨する。